#06「嘘吐き」



ぴゅうっと口笛の音が部屋の中に響いた。

「いきなり殺し文句だな、『オニイサン』♪」
どこか喜んでいるようなリュウの後ろでセイが冷静に呟く。
「意外だな…『猫』はお前のスタイルに反するかと思ったが…」
「俺は仕事は選ばない」
「で、どーすんの?どーすんの?4人でヤるの?」
わくわくと横から口を挟んでくる『猫』を一瞥すると、『野良犬』は低い声で言った。
「…一対一でなければ、こちらに勝ち目はない」
え〜!と不満げな声を上げる少年を『野良犬』は睨みつけた。
「…俺と逃げたいんじゃないのか?」
その言葉に少年は一瞬きょとんとしたが、すぐに声を潜めて『野良犬』に訊いた。
「…本当に連れて行ってくれんの?」
「ああ」
「…どこまで?」
「どこへでも」
『野良犬』の返事に最初、少年は驚いた顔をしていたが、すぐに子供のような笑顔を浮かべた。
「OK、じゃあさっさと済まそうぜ」
ぱちん、と『猫』がナイフをかまえるのと同時にセイの持つピアノ線がひゅん、と音を立てた。寸前でそれを避けた『猫』がちっと舌うちをするのが聞えた。
「…行かせるわけにはいかない」
『猫』の前に出たセイがぽつりと呟いた。『猫』を『野良犬』から引き離したその隙に、リュウも『野良犬』の前へと進み出る。
「そうそう♪イチャつくのは、俺たちを倒してからにしてもらおうか『オニイサン』☆」
そう笑うリュウに『野良犬』はナイフをかまえた。
「…お前、俺を騙したな」
リュウをまっすぐに見据えて『野良犬』が言う。
「さぁって、なんのことやら?」
「この仕事、『ねずみ』からの依頼だと…」
『野良犬』の言葉にリュウはにやりと笑った。
「俺は『ねずみ』からの仕事だなんて、一言も言った覚えはないぜ?」
リュウの台詞に『野良犬』は黙って彼を睨みつけた。そんな『野良犬』を鼻で笑うと、リュウは改めて『野良犬』を見据える。
「…ってーか、お前いい加減、その恰好やめろよ。辛気臭いったらありゃしない。もう、」
もう五年だぜ?と言ったリュウに『野良犬』はそっと目を伏せた。
「…まだ五年だ。」
その言葉にリュウは『野良犬』を睨みつけた。どこか憐れみに似た眼差しで。
しかし、それも一瞬のことで、すぐに口の端を歪めると言った。
「…っあ〜ハイハイ、そうですか!さすが躾の行き届いてる『犬』は違うね〜」
ひゅん、と軽く日本刀を振るとリュウは『野良犬』に向かって強く踏み込んだ。
「!」
すんでのところで、『野良犬』はリュウの日本刀をナイフで受け止める。それを見て、リュウは笑みを浮かべ、吐き捨てるように言った。
「…本っ当、ヘドが出そう」

一方、セイと対峙した『猫』は早くも苦戦を強いられていた。
「…っ!オニイサン、リーチ長すぎ!!卑怯じゃね!?」
セイの操るピアノ線をかわしながら、『猫』がわめく。
「…悪いが、仕事なのでな。」
淡々と呟くセイに『猫』が舌打ちをした。
セイの攻撃を避けることは、『猫』にとって難しいことではない。しかし、首に深手を負っている今は何がきっかけで傷が開いてしまうか分からない。『猫』は攻撃を避けることに精いっぱいで、セイに反撃することができないでいた。
(…くそ!普段はこんなこと、気にしないのに…ッ!)
そう一人ごちながら、『猫』は『野良犬』の方をちらりと見た。ナイフをかまえた『野良犬』と一瞬、目が合う。

『…どこまで?』
『…どこへでも』

思い出しただけで、『猫』の胸は高鳴った。
知らず、『猫』の顔に笑みが浮かぶ。


今、死ぬわけにはいかない。


リュウの操る日本刀と『野良犬』のナイフが音を立ててぶつかり合う。
ナイフで日本刀を受け止めると、それを薙ぎ払いながら、野良犬は一歩後ろに下がった。リュウが一歩踏み込み、日本刀を振り下ろす。野良犬はそれをナイフの側面で受け止めると、そのまま日本刀の刃を自身から逸らし、間合いを詰めると空いている左手で拳を作り、リュウの胴体に打ち込んだ。
「く…っ!」
まともに拳をくらい思わずよろめいたリュウに、野良犬はすかさず踏み込んでナイフを繰り出す。咄嗟にリュウは野良犬のナイフを握った手を膝で蹴り上げた。
危うくナイフを取り落しそうになった野良犬は、後ろに跳び退ってリュウとの間を取りなおした。
一連の動きにも、野良犬は息一つ乱れていない。きっ、とリュウが野良犬を睨みつけた。
「お前のそーゆー顔がムカつくんだよ。死んだ魚みたいな目しやがって!」
リュウのそんな台詞にも野良犬は眉一つ動かさず、いつもの薄茶色の瞳でリュウをぼんやりと見つめるだけで。リュウは苛立ちにちっと舌をうった。

いつ死んでも構わない、そんな瞳をしながら、何故生きているのか。

野良犬の薄茶色の瞳を見つめていたリュウは、突然、俯くと、くつくつと笑いだした。
「あ〜そうですかそうですかぁ。……ったく、『野良犬』が聞いて呆れるぜ!」
リュウは野良犬との間合いをつめると日本刀で斬りつけた。寸前でそれを受け止める野良犬。
交わした刃の向こうで、リュウが口の端を歪めて笑ったのが野良犬にも分かった。
「まぁだ、ご主人様のことが忘れられないってか!」
ナイフで日本刀を押し返すと野良犬は咄嗟にリュウとの間合いを取った。
リュウの真紅の瞳がゆらり、と憎悪にゆらめく。
「…そんなに恋しいなら、さっさとご主人様のとこに行きな!」
言いながら、踏み込んできたリュウの刃が野良犬の肩を掠めた。
(くっ…)
ナイフの間合いは日本刀と切り結ぶには、あまりにも短すぎる。『野良犬』の持つナイフではリュウの日本刀を受け止めるのがやっとだ。それを薙ぎ払いながら、『野良犬』は一歩後ろに下がった。
間合いの短いナイフで反撃に出るには、相手の懐に飛び込む必要がある。しかし、このままではそれもかなわない。
脳裏に一瞬、懐に忍ばせた拳銃のことがよぎった。しかし、この狭い室内で拳銃を使うのはリスクがありすぎる、『野良犬』はそう判断した。流れ弾が『猫』に当たってしまう危険性ももちろんだが、中途半端な間合いでは拳銃を懐から取り出すより先に、日本刀に薙ぎ払われてしまう可能性もある。
野良犬は反撃に出ることができず、そのままじりじりと後ろに下がった。
後退する『野良犬』の背中に、とん、と何かが当たった。背後にはガラス窓。窓の向こうに、路地が広がっているのが見える。
(…もっと広い場所なら、あるいは…)

セイと対峙しながら、猫は奇妙なものを感じていた。
「…なあんか、キモチワルイんだよなー」
そう呟くと、猫はセイを見た。瑠璃色の瞳は揺らぐことなく、こちらを見つめている。しかし、その瞳に猫は言い難い違和感を感じた。
「…どうした?もう逃げないのか?」
セイの言葉に猫は呻りながら、首を捻っている。
「う〜…だって、気持ちよくないんだもん」
猫が無意識に言った言葉にセイがぴくり、と眉を動かした。
「なんていうの?全然感じないんだよねー。だってお兄さん…」
と言いかけて、猫ははっと気付いてセイの方へ顔を上げた。
「お兄さんさぁ、もしかして…」
その時、背後で大きな音がして、思わず二人はそちらを振り返った。
二人の目に映ったのは窓ガラスを突き破った野良犬。
それを見ていたリュウはぴゅうっと口笛を吹くと、壊れた窓から身を乗り出して野良犬を見た。
「やっるねぇ〜♪んじゃ、俺も…っと」
言うが早いか、雨樋をつたってリュウも野良犬の後を追う。
「オニイサンっ!」
地面に伏したままの野良犬に驚いて猫が声を上げた。その声に野良犬が顔をあげ、目だけで頷く。猫がほっと息をついた瞬間、するりと右の手首に何かが巻き付いた。
「…動くな。右手を失いたくないなら、な」
セイの操るピアノ線だった。

下に降り立ったリュウは、野良犬に向き合った。
「…………。」
野良犬は懐を抑えるようにして地面に伏したまま、顔だけを上げてこちらを見ている。
「どうした?立てば?それともどっか傷が痛むわけ?」
くっと笑ったリュウが日本刀を構え直した――その一瞬の隙をついて、野良犬が懐の拳銃を手に取る――
「…っ!」
しかし、拳銃を構えるより先にリュウの日本刀に薙ぎ払われてしまった。舌打ちをしながらくりだした野良犬のナイフはリュウの右足に叩き落とされる。
 苦痛に歪んだ野良犬の顔に、ひやりと冷たい日本刀が触れた。頭上から聞こえた口笛の音に顔を上げると、リュウが口の端を歪め笑っている――
「ゲームオーバー、だな」

「遊びはおしまいだ」
その言葉に猫はセイを見つめていたが、右手に絡みついたピアノ線の感触に舌打ちすると――ため息をついた。
 「…あ〜あ、つまんねーの…久々に面白くなってきたのにさ〜…本当、失望したわ『お兄さん』」
 「何…?」
 最初、野良犬を指しているかと思われた『おにいさん』という言葉が、自分のことを指しているのだと気が付いて、セイは眉を寄せた。
 と、急に猫がピアノ線が巻き付いた右手をくいっと軽く引っ張った。慌ててセイは手の力を緩めたが、遅かった。猫は傷一つつかない右手を見て、にやにやと笑みを浮かべた。
 「――ダメじゃん、お兄さん。こんなおもちゃ持ってきちゃ、さあ?」
 セイがしまった、と思った時はすでに遅かった。
 猫はセイのピアノ線を手繰りよせると、自らの首に巻き付け、野良犬の破った窓ガラスから身を躍らせた。

 「いいザマだな。アンタはそうやって這いつくばってるのが似合うよ」
 その言葉に野良犬は黙って、リュウを見た。その瞳に動揺の色すら見えないことにかすかな苛立ちを覚えたが、それもすぐに消えた。ふっとリュウは微かな笑みを浮かべた。それは、どこか哀しげな笑みだった。
 「アンタを殺したい、って思ってたよ、ずっと」
 ずっと思っていた。五年前のあの日から――

殺す、という言葉に、野良犬がぴくり、と反応した。
 今朝見た悪夢が頭の中でフラッシュバックする。

むせ返るような血の匂い、辺りに響き渡る笑い声。
抱きかかえた身体は次第に重く冷たくなっていく。

差し出されたその手を強く握りしめると、その人は微かに笑った。

「…最後の命令だ」


口唇がゆっくりと動き、残酷なその命令を紡ぎだす。


「   」

 「俺は……生きる」

 ぽつりと呟いた野良犬に、リュウは悲しげに顔を歪めた。

 「俺は…生きる」

 生きる。

 まるで何かに憑りつかれたように、そう繰り返す野良犬にリュウは日本刀を振り上げた――とその時、野良犬の瞳に一瞬光がよぎった。
 「…猫」
 「…なに?」
 疑問に思ったリュウが野良犬の視線の先を追うと、そこには今まさにピアノ線を首に巻き付け二階から飛び降りようとする猫の姿があった。
 馬鹿野郎、とリュウが止める間もなく落下する猫の身体。猫の首に巻き付いていたピアノ線はするりと、空中で猫の身体から離れ、とっさに走り寄った野良犬に猫は抱きとめられていた。
野良犬の腕の中で猫はしばらく、目をしばたたかせていたが、
 「…こっわ!!マジ高いとこ怖!!」
 と言うと身震いした。
 「…何をしている」
 安堵のため息とともに野良犬が言うと、猫は大きな目を見開いたまま、「助けに来たんじゃん?」と言った。野良犬が胡乱気に顔をしかめると、猫はリュウの前へと進み出た。
 「あっ…ぶねー!!何考えてるんだよ!ガキ…っ!」
 リュウの言葉に猫はにたりと笑うと言った。
 「オッサンこそ何考えてるのさ?」
 あ?とリュウが声を出すと、猫は先程まで自分の首に巻き付いていたピアノ線を手に取り、つ…と指でなぞってみせた。
 「こんなおもちゃ持ってきて何のつもり?」
 野良犬は初めてそれに気付いて、眉を寄せた。猫がピアノ線をなぞった指には傷はおろか、跡さえついていなかったのだ。
 対峙したリュウと猫の間に奇妙な緊張が走る。最初に口を開いたのは猫だった。
 「…兄貴に『俺を殺せ』って言われた?」
 「ああ、言われたね。お兄ちゃんはかんかんに怒ってるぜ、ボウヤ」
 いつもの軽口に似せてはいるが、どこか空々しいリュウの声音に、猫がふっと笑った。

 「嘘吐き」

  その言葉が合図になった。
バッと猫は野良犬を庇うようにリュウとの間に立ちはだかると、「走って!!」と叫んだ。すかさず野良犬が走り出し、その後に猫も続く。
 「!!」
 リュウも野良犬の落とした拳銃を手に取り、とっさに構えるが、「やめろ!リュウ!」というセイの制止の声に、拳銃を構えた手を下した。
 その声に振り向いた猫がかすかに笑っていたのが、遠目にもリュウに分かった。
 「…ッ!あのくそガキが…ッ!!」
 舌打ちをしたリュウに下に駆けつけたセイが言った。
 「仕方がない。一度、黒猫のところに戻るぞ」

 「…いつ、気が付いた?」
 セイとリュウの追ってこないのを確かめると、野良犬が猫の方を見て呟いた。
 「んあ?」
 「…二人がお前を殺す気がないことに」
 猫は、ん〜?と考え込むと、わりと最初からかな?と答えた。
 「なんか全然、そそられなくてさー。だって、あのお兄さん少しもヤる気ないんだもん。そりゃ気が付くよ」
 本能的に察知した…ということか。野良犬は猫の方を見ながら、改めて猫が普通の少年ではないことを、思い知った。
 猫は野良犬の視線に気が付くと、にっこりと笑みを浮かべた。
 「で?この後どうすんの?どこ行くの?」
 猫はするりと野良犬に腕を絡めると、甘えるような仕草で犬にしなだれかかってきた。何故かは分からないが、野良犬は猫に気に入られたらしい。
 野良犬は猫の腕を払いのけることもせず、ぼんやりとしばらく考え込んでいたが、ぽつりと言った。
 「……『ねずみ』のところへ行く」



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