#03「遭遇」
「……で発見された男性の遺体には複数の切り傷があり、警察では男性が何らかの事件に巻き込まれたものとして、身元の確認を急いでいます…」
テレビから流れてくる映像を青年は無表情のまま見つめていた。青年の黒髪の下の瞳は珍しい瑠璃色をしている。その瞳は何か思案しているらしく、テレビの画面をじっと見つめていた。
「セーイ、買い出しに行ってくるけど、ご飯何がいいー?」
扉の影から顔を出したのは長い銀髪の少女。セイと呼ばれた青年はテレビを見つめたまま、ぽつりと言った。
「…『猫』が『鼠狩り』をしてる」
「へ?」
ほとんど独り言のように呟いたセイの言葉に少女は不審そうな顔をした。しかし、それに答えることはせず、セイはテレビを見つめたまま言った。
「…夕食は適当に済ませる。買い出しは行かなくていい。」
「もう!そんなこと言って!いいわよ適当に見つくろって買って…きゃあ!」
玄関に行こうと踵を返した少女をセイは抱き止めた。
「外に出るな!」
その時、がちゃりと鍵の開く音がして、ドアが開いた。
「…おい。なにやってんの、お前ら」
「…遅かったな、リュウ」
セイがドアの方を見ると、銀髪に深紅の瞳をした男が立っていた。リュウと呼ばれたその男はセイの腕の中の少女を睨み付けた。
「人の留守中に、なにしてんだよ!」
少女はリュウの言葉に一瞬ムっとしたが、すぐににたりと笑みを浮かべた。
「あら〜、やだ、だってセイの方から抱き付いてきたんだもん〜♪」
「はあ!?ありえねーだろ!こんな色気皆無のガキに!」
「ガキとは何よ!女の子に向かって!」
ぎゃあぎゃあと口喧嘩を始めた二人にセイはため息を吐いた。
セイとリュウの営む呉羽人材派遣事務所を見つけるのは簡単なことではない。
駅前に立ち並ぶ雑居ビルのその一室を見つけるのはなかなか容易ではない。運よく郡列するビルの中から、そこを見つけたとしても外には看板一つかかっていない。
エレベーターでは通らないそのビルの中二階に行くためには、「立ち入り禁止」と書かれた看板を乗り越え、わざわざ階段で上まで登らなければいけない。ひびわれの入ったコンクリートの階段を上って一つ目の踊り場に出ると、右側にようやく白いドアがあるはずだ。
無事、ドアが開けばそこが呉羽人材派遣事務所、というわけだ。
中に入るとそこは外観よりも幾らか広い印象を受ける。
白でまとめられた室内は、良く言えば「清潔感ある」悪く言えば「殺風景な」印象だ。
ドアを入ってすぐの待ち受けには「呉羽人材派遣」のプレート。
もっとも、わざわざこんな雑居ビルの一室を探し当ててくるような人間に「人材派遣」目当ての客がいるわけもない。
「だって、本当にセイから抱き付いてきたんだもん〜。ねえ?セイ?」
セイはしばらくリュウと少女の顔を見比べていたが、くすりと笑うと言った。
「そうだな」
セイの言葉にリュウは「おいおいおい!」とセイの方に詰め寄った。
「お前…!ロリコンだったワケ!?」
「それよりもリュウ、お前こそ随分遅かったじゃないか」
え?と一瞬呆気に取られたリュウは、すぐにこほんと咳をすると勿体ぶって前髪を掻き上げた。
「…まあ、俺は俺で用事があったっていうか…」
「…誰かと会ってたわけか」
「いや、勘違いするなよ、セイ。決して浮気というほどのことでは…」
「『野良犬』と」
「の…!?」
思いもかけないセイの言葉にリュウは一瞬、言葉を失った。
「煙草の匂いがする。…お前が好きでもない煙草を、わざわざ吸うのは『野良犬』と会う時くらいだ。しかも嫌がらせにな」
リュウは黙ってセイから目をそらした。セイはそんなリュウを不審に思ったのだろう。眉根を寄せたまま、リュウの深紅の瞳を見据える。
「…お前から、わざわざ会いに行くなんて珍しい。仕事でも持っていったのか。それとも…」
そこまで言いかけてセイは、はっとテレビの画面を見た。テレビでは相次ぐ不審死のニュースを流している。
「まさか…『猫』の依頼を持っていったのか…?」
それは奇妙に涼しい夕暮れのことだった。
『野良犬』はリュウに教えられた雑居ビルの一室の前に居た。薄闇の中で『野良犬』はその部屋のドアを見つめていた。ドアの鍵はすでに何者かによって壊されている。
その時、ふと『野良犬』の脳裏にリュウの言葉がよみがえった。
『だから、兄貴が時々『鼠狩り』をして、それで遊ばせてるらしい。』
『生きたまま『猫』のところに獲物を送りこむのさ。あとは『猫』の思うまま。いいおもちゃってわけだ。』
…ひょっとして、俺もただの『鼠』に過ぎないのではないか。
そんな考えが頭をよぎった時、
「入んねぇの?開いてるよ」
中から少年の声がした。
『野良犬』は一瞬躊躇ったが、ドアを開けると部屋の中へ入った。
出たばかりの月が淡く、ベッドの上に腰かける一人の少年を照らし出していた。
ふわふわとした茶色の猫っ毛、猫のような瞳は髪より濃い赤茶色をしている。兄の寵愛を受け一歩も外に出たことがない、というのは、どうやらただの噂ではないらしい。幼さの残るその顔は、陽にさらされることがないのだろう、それは白磁のように白かった。色の白い手足は、ベッドの上に投げ出されている。
少年は『野良犬』を見るとにっこりと笑った。
「オニイサンが今夜の相手?」
「…そのようだな」
『野良犬』は目の前の少年に警戒しながら、辺りを見回した。部屋の中にはベッドが一つ。テレビも冷蔵庫も見あたらない。
「…殺風景だろー?兄貴が『必要ない』っつって何にも置かせてくれないんだー。今時、パソコンもないんだぜー」
ありえないっしょー、と言うと少年はため息を吐いた。
「外に出たいっつーと怒るしさあ。やんなっちまうよなー」
少年が身を起こす。ベッドがぎしりと軋んだ。
少年はポケットからナイフを取り出すと、一つを『野良犬』の方に向かって投げた。フローリングの床にからからとナイフが転がる。
「俺さあ、Mってゆーの?痛いの好きな変なヒトなんだよねー」
くすくすと少年は笑った。
「どうせ殺られるんなら、痛い方がいいな」
『野良犬』は少年とナイフを交互に見つめていたが、跪くと黙ってナイフを手に取った。
「痛いのって、いいじゃん。生きてるって感じする」
ナイフを構えると、『野良犬』は少年を見据えた。少年は怯むことなく、こちらを見返してくる。
一瞬、少年の赤茶の瞳が『野良犬』を値踏みするかのように細められた。その瞳を見て、『野良犬』は思わずぴくりと眉を動かした。『野良犬』のその一瞬の隙を少年は見逃さなかった。ナイフをかまえると、『野良犬』の懐に入って斬りかかる。
「…っく!」
僅かな差で少年のナイフをかわした『野良犬』は後ろに飛び退くと、少年との間合いを取る。少年がそれを見て口笛を吹いた。
「オニイサン、すごーい!!俺の最初の一撃かわしたの、オニイサンが初めてだよ!」
純粋なその賛嘆の声を聞いて、『野良犬』は息を飲んだ。
(…この子ども…強い…!)
「あーあ、初めてがオニイサンみたいな人だったら、楽しかったのにー」
その少年の言葉を聞いて、『野良犬』は眉を顰めた。
「…楽しい?」
「そうだよ。こうやって、遊んで貰ってさ♪…オニイサンは楽しくないの?」
「俺は…ただ『生きる』ために『殺す』」
『野良犬』の言葉に少年は首を傾げた。
「『生きる』?『生きる』ためにどうして『殺す』の?」
「どうして…」
言葉に詰まった『野良犬』を少年はつまらなさそうに見つめている。
「俺さあ、難しいの嫌い」
そう言うと、少年はナイフをかまえ『野良犬』の首元をめがけ、深く踏み込んだ。
「!」
今度は避けきることができず、『野良犬』は首に傷を負った。
「気持ち良かったら、それでいいじゃん。…ねえ、もっともっと遊ぼう?」
『野良犬』は黙って、ナイフをかまえ直した。
少年のナイフが鋭くきらめいた。
「#04 逃亡」へ
戻る