「第二話」
しぶしぶと家に向かうカクテュスの背中をバーベナとオーキッドは笑いながら見送った。
「いや、見ものでしたね。先生のあの慌て振りは。」
面白いものを見た、とでもいうようにオーキッドが言った。バーベナもうんうんと頷く。
「あの人もエクルのこととなると弱いからねぇ〜。でも結局折れなかったんでしょ?」
「二人とも、ですね。でも珍しいですね、エクルも普段は聞き分けがいい子なのに」
「あ〜ら、普段聞き分けがいい子ってのは、意外と手強いものよ。滅多にわがまま言わない分、な・お・さ・ら、ね♪」
二人のそんな会話など知る由もなかったが、エクルの部屋の前でカクテュスは正にそれを痛感していた。
さっきから、いくらドアをノックしても、中からは返事一つ返って来ない。
「エクル、いるんでしょう。返事をしなさい!」
ドアをノックしながら、カクテュスはドアの向う側から泣き声が聞こえてはこないかとヒヤヒヤしていた。
泣き声は聞こえてこないかわりに、返事が返ってくる様子もない。エクルはベッドの中に潜りこんでいるに違いなかった。淋しい時、よくそうするように。
カクテュスはノックをする手をとめると、深くため息を吐いた。
「…モノクルを返して下さい、エクル。それがないと右目がよく見えないんです。」
カクテュスの嘆願の声にもやはり返事はなかった。
少しの沈黙の後、おずおずとドアが開かれて、12、3歳の少女が現れた。金髪の下のうさぎのように紅い瞳がゆらいでいる。
「エクル…」
安堵のため息をつきながら、カクテュスが腕を差し伸べると、エクルは身を引いた。今にも泣き出しそうな顔で自分を見つめる少女にカクテュスも途方にくれてしまう。
「ねぇ、エクル、仕方がないんですよ。お仕事ですから。それにたった…」
たった二三日、と言いかけてカクテュスも黙り込んでしまった。今までカクテュスはほとんどこの家を空けたことがない。長時間の外出の際にはいつも隣にエクルを連れていた。
だからエクルも遺跡調査に連れて行って貰えると思っていたに違いない。
「そうだ、おみやげを買ってきてあげましょう。珊瑚のペンダントはどうですか?」
笑顔のカクテュスにエクルは黙って首を振る。
「じゃあ、貝がらのスプーンは?それとも瓶に詰めたさくら貝がいいですか?」
カクテュスが並べ立てるおみやげの名前にも、エクルはただ俯いて首を振るばかり。目にうっすらと涙を浮かべ、唇を噛んだエクルにカクテュスも深くため息をついた。
「…じゃ、」
「え?」
「僕じゃ、役に立ちませんか?」
今にも消え入りそうなこの言葉を聞いて、カクテュスは思わずエクルの顔を見た。エクルは一人置いていかれることに傷ついていたわけではなかったのだ。カクテュスの仕事に連れていってもらえるものだと、カクテュスの手伝いができるのだと思って喜んでいたのだ。
「荷物持ちなら、私もできます。教えて貰えれば、資料の仕分けだって…」
「エクル」
カクテュスの声にびくん、とエクルは肩を震わせた。今にも泣き出しそうな、その深紅の瞳を見て、カクテュスは苦笑いを浮かべた。
この子はもう、おみやげでごまかせるような子供ではないのだ。
「そうじゃ、ないんですよ。エクル」
カクテュスの声音に驚いて、エクルは顔を上げた。それはさっきまでのなだめるような、あの優しい声ではなかった。まるでエクルに向かって話しかけているとは思えない、遠い場所へ向かって話しているような声。それは辿りつく場所を知らない、風の音に似ていた。
「…本当はね、私は、怖いんですよ。」
「う〜ん、予想以上に静かだわね〜」
と静まり返った家の方を見て、バーベナが言った。カクテュスがエクル説得のため、中に入ってからおよそ10分。いまだに家からは物音一つ聞こえて来ない。
「これってアレかしら?いわゆる冷戦状態ってヤツ?ねぇねぇ、オーキッド、中見てきた方がいいのかしら。でも違う意味で静かになってるんだったら、邪魔しちゃまずいわよねぇー」
「なんか…嬉しそうですね、バーベナ」
家の方へ必死に耳を澄ましているバーベナに、オーキッドが怪訝な顔をした。
「いや、ほら、カクテュスにエクル相手でしょ?そりゃー罵声や怒声が聞こえてくるような修羅場になるとは考えてないけど、もうちょっとなんかこう…」
「なんです?」
「エクルが『私と研究のどっちが大事なんですか!!先生ッ!?』とか」
「言わないでしょう」
「じゃなきゃ『遺跡調査で外泊って…本当なの!?あなた!!』みたいな…」
「ありえないでしょう」
常になく饒舌なバーベナにオーキッドは冷たい視線を注いだ。
「…面白がってませんか?バーベナ?」
「いやねぇ、昔から言うじゃないの。『他人の修羅場はレモン味☆』って」
「言・い・ま・せ・ん」
後ろからかかった低い声にバーベナが振り向いた。
「あら、仲直りできたのね」
右目にモノクルを取り戻したカクテュスを見て、バーベナがにっこりと笑った。その後ろには、まだ暗い表情をしたままのエクルがついていた。仲直りというよりは、カクテュスが半ば押し切るような形で納得させたに違いない。エクルは時折、まだ何か言いたげにカクテュスの方をちらちらと見上げている。
「全く、人がいないと思って好き勝手…一体、何が『レモン味☆』ですか」
「あら、『グレープ味』の方が良かったかしら?」
ドロップか、とツッコミたくなる衝動を抑えて、オーキッドは二人の間に割って出た。この二人にいちいち付き合っていたら、いつまでたっても出発できそうにない。
「あの〜先生?準備がよろしいようでしたら、そろそろ…」
「ああ、お待たせしてすいませんでしたね。そろそろ出発しましょうか」
その時、エクルが不安そうな顔でカクテュスを見上げた。何か口にしかけて、迷ったように口ごもる。そんなエクルを見て、カクテュスは、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、エクル。留守の間バーベナのいうことをよく聞いて、いい子にしているんですよ」
そのとき、エクルが不安そうに、先生、と言いかけたのを、バーベナは見逃さなかった。しかし、その有無をいわせぬ笑顔の前では、それも言葉にならなかったのだろうか。エクルはそのまま、しょんぼりと頷いた。
(やれやれ、一体どんな言葉で説得したのやら)
二人の様子を見ていたバーベナは一人、胸中でため息をついた。どうやら、カクテュスの説得はあまり上手いものではなかったらしい。
まさか、「本当の理由」を話すわけにもいかないだろうけど、物は言いようじゃないの、とバーベナは隣の友人を睨んだ。そんなバーベナの視線に気付いて、カクテュスがにっこりと微笑んだ。
「それでは、留守中エクルのことを頼みますよ」
エクルに向けたのと全く同じ「有無を言わせぬ笑顔」に、バーベナがうんざりしたように呟く。
「…まったく、笑顔で女を黙らせようとはいい度胸よね。」
「はい?」
…しかも、無自覚ときたものだから、全くタチが悪い、とバーベナはため息をついた。
「ま、いいわ。こんな可愛い女の子なら、大歓迎よ♪」
ふざけたバーベナに抱きつかれて、エクルが少しだけ微笑んだ。それを見て、カクテュスもほっと胸をなで下ろす。
「先生方〜!!早くしないと、日が暮れちまいますよー!!」
しびれを切らした御者の叫び声にオーキッドが慌てて、馬車の方へ手を振った。
「今行きまーす!!ほらっ先生…!」
「はいはい、分かりました」
先に駆けだしたオーキッドを横目でちらりと見ると、カクテュスはバーベナにそっと耳打ちした。
「でも、本当にいいんですか?『猛獣使い』をお借りしてしまって」
何を今更、といった感じでバーベナが苦笑した。
「他に適任者もいないでしょ?それにダンデがいるから、あっちは大丈夫よ」
「…ですかねえぇぇ…」
深くため息をついたカクテュスをエクルはきょとん、とした顔で見上げている。そのエクルの金色の髪をさらさらと撫でると、カクテュスは笑った。
「それじゃあ、行ってきますよ、エクル。」
「せんせーーーい!!!」
「はい、今行きまーす!」
馬車の横で手を振るオーキッドの方にカクテュスも歩き出した。その後ろ姿をエクルは不安気に見守っていた。
十時の昼寝はいつも温室ですることにノアールは決めていた。
温室といっても、もうそこは何年も使われてはいない。研究の名目で植えられた怪しげな植物達は勝手きままに枝を伸ばして、木漏れ陽を作り出し、ところどころ壊れたガラスの合間からは、ときおり初夏の爽やかな風が入り込む。
まさにそこは昼寝に最適な場所だった。
「あ〜〜ッ!!いたっ!ノアールッ!!」
…そう、ただ一つ、邪魔が入りやすい、という欠点を除いては。
「…んっだよ。せっかく、寝入ったとこだったのによ〜」
ノアールは面倒臭そうにのそのそと長身を起こすと、金髪に黒のメッシュが入った前髪をぼりぼりとかきあげた。目の前ではダンデが腕を組んで、こちらを睨み付けている。
「奉仕活動をほっぽって、寝入るな!!まだ裏庭の掃除、終わってないだろ!?」
「だぁ〜ってよ、こんな時でもないと、身体伸ばしてゆっくり昼寝できないだろ〜?」
そういって、ぐるぐるとノアールは腕を回した。本来、囚人であるノアールはいつも拘束服を着用させられ、上半身の自由を封じられている。そんな彼が拘束服から解放されるのが奉仕活動に従事している時である。そのため、ノアールはしばしば監視員の目を逃れては、こうして温室で昼寝をするのだった。
全く、反省の色のないノアールの様子に、ダンデは懐から手帳を取り出すと、ぽつりと呟いた。
「…奉仕活動中の居眠り、減点20…と」
ダンデの言葉に、ぴくり、と反応すると、ノアールは素早くダンデの持ってる手帳を奪い取った。
「あ〜!!返せ!!先輩の手帳ッ!!」
「なんで、お前がこんなん持ってんだァ?」
別名『閻魔帳』とよばれるその手帳は、本来はノアールの専属監視員であるオーキッドの持ち物である。ノアールの普段の生活態度と奉仕活動をオーキッドが監視し、プラスとマイナスで『閻魔帳』にポイントをつけていく。ポイントがプラス300点になった時点で、ノアールは晴れて自由の身となる、という仕組みになっている。
「なんでって…今日から三日間、僕がお前の監視を任されてるんだ!先輩から聞いただろ!?」
手帳を取り返そうと、必死でびよんびよん、跳ねているダンデの言葉に、ノアールは記憶の糸をたぐった。
「あ〜…そういえば、第一世代<ファースト>の遺跡がどうとかこうとか…」
「ノマシェ海岸の遺跡調査!」
「ああ、それだ……って、アイツ発掘なんかできるのか?」
「先輩の話はちゃんと聞け!!先生が遺跡調査に参加するから、スタッフとして同行するんだよっ」
ふん、とノアールはそれを鼻で笑った。
「要するにカクテュスの荷物持ちだろ?」
ピラピラと手帳をひらつかせながら、ノアールは言った。ダンデは先ほどから必死に、手帳を奪い返そうとじたばたしているが、身長160cmのダンデと、ゆうに180を超えるノアールでは明らかにダンデの方が不利である。
「よし!!じゃあ、カクテュスも、専属ストーカーもいないことだし、今日はエクルのとこにでも遊びに…」
「誰が専属ストーカーだ」
耳元で聞こえた声に驚いたノアールは手帳を取り落とした。地面に落下しそうになった手帳をすぐさまダンデがキャッチする。
「おま…っ!お前、カクテュスと一緒に行ったんじゃ…!?」
取り乱すノアールと対照的にオーキッドは至極落ち着いて、鞄から分厚い書類の束を取り出した。
「途中で忘れ物に気付いてな。先生に頼んでちょっと寄って貰ったんだ。」
言われて、温室横の裏口を見れば、馬車の窓からカクテュスがにこやかに手を振っている。
(あの野郎…いらんことをしやがって…)
ノアールが馬車の方を睨み付けている間に、オーキッドは先ほどの書類の束をダンデに手渡した。
「留守中の奉仕活動のスケジュール案だ。日程は多少前後してもかまわないから、できるだけ多くこなすように」
「はい、先輩っ!」
にこやかに笑うオーキッドとやる気満々のダンデの会話に、ノアールがひくり、と顔を引きつらせた。
「ちょっと待て。その分厚い書類全部、奉仕活動のスケジュールか!?」
「もちろんだ。」
何か問題でもあるのか?と言いたげなオーキッドの表情に、ノアールはダンデから奉仕活動のスケジュールを取り上げると、ざっと眼を通した。
「三日で30件…っておいコラ!!計算がおかしいだろ!?人を殺す気か、お前ら!!」
「大丈夫だ。午前中に4件、午後に6件こなせば、一日10件はこなせる計算だ」
「その計算がおかしいっつってんだあぁぁっ!!」
「ほとんどが、清掃その他の軽作業だからな。お前がサボりさえしなければ、休憩時間もちゃんと取れる」
「うへぇ〜……」
ぱらぱらと書類をめくったノアールは、綿密に計算された実に合理的な過密スケジュールに早くもぐったりとうなだれた。
「あ、それともう一つ。先生から伝言だ」
「あぁ?カクテュスから?」
馬車の方に目をやると、満面の笑みを浮かべたカクテュスと目が合った。
「『留守中、エクルに変なマネしたら、アンタを椎茸の苗床にしてやりますからね☆』だそうだ」
「そりゃ、伝言じゃなくて、脅迫っつうんだよ!」
どいつもこいつも俺をなんだと思ってるんだ、と座った目でぶつぶつと呟くノアールを放っておいて、オーキッドはダンデに向き直った。
「それじゃあ、留守を頼むぞ、ダンデ。くれぐれもノアールを野放しにするようなことだけはするなよ」
「はいっ!分かりました先輩!」
「…俺は犬か?それとも猛獣か何かか?」
不満げに呟くノアールをきっと睨み付けるとオーキッドは言った。
「ノアール!お前も早く自由になりたかったら、ちゃんとダンデの言うことを守るんだぞ!」
「へーへー分かりましたよ」
ひらひらと手のひらを振りながら、やる気のなさそうにうなづくノアールを見て、オーキッドはため息をついた。
「それじゃあ、私はもう行くからな。ダンデ、奉仕活動中はくれぐれもノアールから目を離さないように」
「はいっ!行ってらっしゃい先輩〜」
手を振って見送るダンデと仏頂面をしたノアールを後に、オーキッドはカクテュスの待つ馬車へと戻った。
…ウチの男どもはデフォルトでロリコンです(←マテ)
どうでもいいですが、しょっぱなからキャラが多くて大変です…orz最初は少人数にすれば良かった…。
ノアールの真のストーカーもそのうち登場予定です。
まとまるのか、ヲイ。(自問自答)
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